火葬場のイメージが良くない原因

火葬場へは一生のうち何回も行くところではないので、火葬場(建物の中)まで実際に行くのが初めてだと言う方も結構いらっしゃいます。私も葬儀会社を運営するようになるまでは火葬場の横を通りぬけるくらいでした。

川西市は山の多い地形ですので、山の一部を整地して市営斎場と市営墓地が出来ております。池田市は猪名川沿いで交通の少ない池田市の端にあります。尼崎市も川沿いで、猪名川町は周りに民家の土地を整地した場所にあります。

どこの治自体も、火葬場のある場所はなるべく人目につかない?場所にあるようです。
その理由は、住民が自分の住んでいる近くに火葬場が来るのを嫌がるからです。今でも治自体に火葬場が無いところもあるが新たに火葬場を建設する場合も大変らしく住民への説明会からはじまり、なるべく人目に付き難い場所で、建物は美術館のような美しい作りにして住民から「嫌がられない」ように工夫しているそうです。もちろん火葬設備は最新の設備を使用していますので、匂いや排煙による環境面も問題が出ない様になっており定期的に検査もしています。

しかし何故ここまで、火葬場おイメージが悪いのかは歴史にあるようです。

火葬には燃やす為の多くの燃料がいる葬法になるので、昔は貴族や武士階級が中心で庶民は土葬がほとんどだった。
しかし、伝染病予防や公衆衛生上の問題により火葬がどんどん広がった。

もともと、死はケガレの意識があったが、解決法が仏教と結びついた「火葬」である一方で、先祖を大事にするという観点から遺体に手を加える火葬を拒否する流もあった。
そして、「明治初期」に火葬禁止令が出る事になりました。ところが都市計画の観点から東京府中心部での土葬も禁止されていたので埋葬出来ない遺体が東京にあふれかえったと言う事がありました。

結果慌てた明治政府は1875年に禁止令の撤回をすることになりました。その撤回理由が「伝染病対策」を前面に押し出して政府は、住宅地から話して郊外へ霊園を作っていくようになりました。

この事で、火葬場は伝染病を処理する危ない施設であると印象づけてしまった大きな理由であるようです。
お別れする大切な場所を不吉な場所にしてしまった明治政府の罪は極めて重い。(東京電機大学名誉教授/八木澤先生)

日本人は本来先祖を大切にする国民ですから故人との最期のお別れの場所である火葬場が不吉な場所であると印象づけられた事は大変残念な事ですね。

政府が最初に大切な場所であると言う事で街の中心地に霊園建設をしていれば、現在のように端においやられなくて済んでいたかもしれませんね。

ご相談はお気軽に
川西・池田市民葬祭
尼崎市民葬祭
対応エリア:川西市・池田市・尼崎市・猪名川町・豊能町・能勢町・その他近隣エリア
電話:0120-594-931 フリーダイヤル・ゴクヨウ・キューサイ
24時間365日対応しています。 ご相談はお気軽に!  担当:梅井まで